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ジャズの歴史(2)

シカゴ・ジャズ

ニューオリンズを離れたラグタイムは、黒人の演奏するバンドはニューオリンズ・ジャズ、白人の演奏するバンドはディキシーランドジャズと呼ばれ、各地で演奏されるようになりました。

特に発展したのがアル・カポネが支配する禁酒法下のシカゴで、南部のブルースや北部の白人ミュージシャンと合流し、より洗練された、都会的なシカゴジャズに進化します。

シカゴジャズではソロプレイが一層重視され、マフィアの経営する秘密酒場でスタープレイヤーが技を競っていました。

 

シカゴは大きな工業都市だったからいろんなところから人が集まってきていたんだね

 

シカゴにはハル・ハウスっていう慈善施設があって、貧しい人でもコンサートを見たり音楽教育を受けたりすることができたんやで。スイング王ベニー・グッドマンも子供の頃は貧しくて、ハル・ハウスでクラリネットを習ってたんだけど、先生は元シカゴ大学の音楽教師や。慈善は高貴なもののつとめやで。ワイも国王として見習いたいものや。

  

ハル・ハウス

 

禁酒法のせいでマフィアの秘密酒場は大儲けしているし、おかげでジャズプレイヤーも大儲けしているし、それで貧しい人でも一流の音楽教育を受けられるんだから、ジャズのレベルも上がらざるをえないよね

 

いくら音楽がよくてもマフィアとか怖すぎ!!ワイ、ゴッドファーザー見たときはカタギでよかったとつくづく思ったやで・・ミュージカルのシカゴもまともな登場人物いなかったやで!!

  


カタギでよかった・・


悪党ばっかりですがなにもかも最高な映画です

 

シカゴではジャズは暗黒街のものだったから、いいイメージはなかったよね。ジャズって言葉が使われ始めたのもこの時期のことなんだけど、だいたいろくな意味じゃなかったみたいだよ。

 

お子様で高貴な国王のワイにはとても説明できないから読者の皆さまググレカス。

 

失礼な言い方やめなさい。

 

シンフォニック・ジャズ

一方ニューヨークでは、「ポール・ホワイトマンと彼のオーケストラ」率いるポール・ホワイトマンが「ジャズ王」の名をほしいままにしていました。

 

ポール・ホワイトマン

  

ポール・ホワイトマンと彼のオーケストラ。

 

元サンフランシスコ交響楽団のビオラ奏者だったポール・ホワイトマンは、即興演奏を一切排し、ソロプレイよりもアンサンブルを重視し、クラシックと同じ方法でスコアを書いて次々とヒット曲を生み出していました。

 

ポール・ホワイトマンはジャズというよりも、ポップスの元祖だね。暗い酒場の音楽だったジャズが、彼の手によって豪華なダンス音楽になったんだ。

  

ワイがジャズだと思って生きてきたのはだいたいこのあたりの音楽やな。

 

バチカブリの好きなチャールストンとかフラッパーとか、グレートギャツビーの世界だね。確かにこれもジャズと呼ばれた音楽だけど、楽譜の通り弾かなくちゃいけないこのバンドでは、コードネームでピアノを弾く僕はピアニストになれないんだ。即興演奏なんか求められていないしね。

  

とりあえずネクタイしめて仕事してる時点で柴田コウメイが逃げ出す案件や。

  




 

「ジャズ王」ポール・ホワイトマンは、ジャズをさらに日の当たる場所に引っ張り出します。

 

ラプソディ・イン・ブルーやな。

 

ラプソディ・イン・ブルーですね。

 
1924年、ポール・ホワイトマンは「新しい音楽の試み」と題したコンサートのため、「ジャズ風の協奏曲」の作曲を人気作曲家のガーシュインに依頼します。

依頼を受けたガーシュインが作曲した曲こそが、名曲「ラプソディ・イン・ブルー」でした。

ガーシュインが作曲した「ラプソディ・イン・ブルー」は二台のピアノで演奏する楽譜でしたが、ポール・ホワイトマン楽団のアレンジャー兼ピアニストだったファーディ・グロフェがジャズバンド用に編曲し、当日、ガーシュイン自身の演奏で初演され、大成功をおさめました。

このラプソディインブルーは、シンフォニック・ジャズと呼ばれています。

 

バチカブリはグロフェを知ってる?

 

ファーディ・グロフェ

  

教科書に載ってたやで!「大峡谷」の作曲者や

  

そう、このグロフェも、コードネームを発明した人って言われているんだ。

  

前回はジェリー・ロール・モートンって言ってたよね。オマエウソツイタノカ。

  

ウソついていません。二人ともコードネームの発明者って言われているよ。

  

北の国の海岸でサルが芋を海水で洗って食べてたら、遠い南の国の海岸でもサルが芋を海水で洗い始めたってアレか。

  

これは僕の想像なんだけど、モートンは楽譜を書いたり読んだりするのが面倒くさくてコードネームを発明して、グロフェはジャズを解析するためにコードネームを発明したんじゃないかな。グロフェもクラシックの交響楽団出身だったからね。

  

だとしたら、ジャズという音楽は遅かれ早かれ誰かの手でコードネームのお世話になる種類の音楽だったということやろな。

  

ラプソディ・イン・ブルーの初演は大成功だったわけだけど、そのときコンサートの招待席にはラフマニノフストラヴィンスキーハイフェッツクライスラーストコフスキーゴドフスキーが座っていたんだって

 

なにその怖い役満!

  

だからといって準備に準備を重ねて作ったコンサートではなくて、売れっ子のガーシュインをつかまえるためにホワイトマンは先にコンサートの新聞広告を打って、それを見たガーシュインが苦情を言いに来たところに作曲を依頼したんだ。

 

怖い怖い怖い

 

しかも新聞広告が1月3日でコンサートが2月12日

 

それ怪談やろ

 


ガーシュインの伝記映画ですが、いろいろな人が本人役で出ているスゴい映画です。ポール・ホワイトマンも本人役で出演しています。

スイング・ジャズ

禁酒法が撤廃されると、ジャズはアメリカ全土に広がり、世界大恐慌の不安から明るい音楽、スイートな音楽が求められ、グレン・ミラーやベニー・グッドマン、デューク・エリントンなどがリーダーをつとめるビッグバンドによるスイング・ジャズが全盛期を迎えます。

グレン・ミラー
ベニー・グッドマン

ポール・ホワイトマンの緻密なアレンジで楽譜に忠実なジャズを踏襲しながら、アドリブの要素は少ないもののソロプレイを楽しむことのできるスイング・ジャズは全米で大流行しました。

なかでも「スイング王」ベニー・グッドマンは、白人と黒人の混成という、当時としては画期的なバンドを編成し、ホットな演奏で人々を熱狂させました。

1938年、ベニー・グッドマンは当時クラシックの殿堂だったカーネギーホールでコンサートを成功させます。それは、売春宿の音楽だったジャズが音楽芸術として認められた瞬間でした。


ベニー・グッドマン楽団のカーネギーホールにおける歴史的コンサートのライブ録音です。

  

カーネギーホールのライブ録音はワイ何回も聴いたやで。かっこよかったやで!!

 

このコンサートはベニーグッドマンのオリジナルメンバーだけでなく、デューク・エリントンやカウント・ベイシーの楽団のスタープレイヤーも参加したドリームチームだったんだ。ジャズの名誉をかけたコンサートだったんだね。

  

ラプソディ・イン・ブルーでジャズは芸術として認められていたのではなかったの?

  

ラプソディ・イン・ブルーはジャズではなくて、ジャズ風に作られたクラシックだからね。ラプソディ・イン・ブルーではダンスできないものね。

  

そういえば、映画の「ベニイ・グッドマン物語」で、ダンスホールで演奏していたら踊りをやめて聴き始めたってシーンがあったやで。ワイそのシーンみて号泣したんやで

 

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本人がバリバリ現役の頃に作られた映画なのでハッピーエンドで安心します。ホント安心します。ライオネル・ハンプトンやジーン・クルーパはじめ多くのミュージシャンが本人役で出演しています。

 

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グレン・ミラーの伝記映画です。亡くなってからの映画なので、何が起きてもつらい映画ですが、グレン・ミラーのサウンドはやっぱりステキ!

 

予告・ビバップ前夜

 
グッドマンのカーネギーホール公演から少し時代をさかのぼってシカゴ・ジャズが隆盛をきわめた禁酒法時代の頃、ミズーリ州カンザスシティでは、全く違うタイプのジャズがはじまっていました。

市会議員トム・ペンターガストによって禁酒法が公然と破られていたカンザスシティでは酒場は秘密ですらなく、ジャズバンドはフル稼働でした。

  

ペンターガストはひどい政治家で、自分の持ってる酒造会社の酒を買わせるために法律も変え放題に変えて私腹を肥やしていたんだ。

 

ワイも賄賂には弱いやで。悪徳の栄えやで。

  

そうやって皆さんにおやつをおねだりするのはよしましょう国王。太りますよ。

 

ワイ人形だから太らんもんね。太るのはお前の嫁や。

※バチカブリとコウメイ先生の奥さんは、シイタケと原木の関係です。

カンザスシティのジャズバンドはオールナイトで演奏し続けなければならなかったため、アレンジやアンサンブルに時間をかけるよりも、簡単な曲に即興演奏を乗せるかたちで発達しました。

カンザスシティで一番の人気を誇っていたバンドはカウント・ベイシー楽団で、即興演奏の得意なサックスのレスター・ヤングがスター・プレイヤーでした。

同じ町の片隅では、のちにジャズに革命を起こすチャーリー・パーカーがカウント・ベイシー楽団に熱中し、レスター・ヤングに憧れてサックスの練習に明け暮れていました。


禁酒法時代のカンザス・シティを舞台にした映画です。政治家やミュージシャンが実名で出てきます。

   

   

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